12月4日は、中村哲さんの命日です。中村さんは2019年のこの日、アフガニスタンの東部、ナンガルハル州ジャララーバードで武装集団に襲われ、命を落としました。享年73。
1984年に医師として赴任したパキスタンで、ハンセン病を防ごうと心血を注いだ中村さんは、現地の人々の足を保護するため、スポンジを敷いた靴を作りました。
また、ドクターたちに、ハンセン病を早期発見するための知識を植え付けました。
山の中を何十日間も歩き回りながら、ハンセン病を根絶しようと働いたのです。その折、地元の医療機関と確かな絆を築いています。
当時について、中村さんは語っています。
「その土地の文化、あるいは風習に合わせて何かをすることがポイントです。そして、現地に合った技術を使わねばならない。善意で送られてくる複雑な器械も、停電に遭うと役に立たないのです」
2年後、中村さんはアフガニスタンの難民を支援するために医療チームを作ります。
やがて赤痢で命を落とした多くの子どもたちの姿に胸を痛め、深刻な干ばつに苦しむ当地で井戸を掘り、用水路をひきました。
ジャララーバードに「水源対策事務所」を設け、日頃から「百の診療所より、一本の用水路が人間の命を救う」と唱えていました。
常に現地の人のためになる支援を意識していた中村さんが手掛けた水路は、ペルシャ語で「真珠の水」と呼ばれているそうです。
そのアフガニスタンが同日2度のマグニチュード6.3の地震に見舞われたのは、2023年10月7日のことでした。
2,400人以上の方が亡くなり、最も被害の大きかったジンダジャン地区とインジル地区では、村全体が破壊されてしまいました。10月11日、そして15日にも同じ規模の地震が発生しました。
地震の前から食料不足が深刻だったアフガニスタンで支援活動に取り組んでいたADRAは、地震発生直後に現地に足を運び、アフガニスタンの方々と直接会話をして、できる支援を考えました。
食料、生活用品を配付し、現地のニーズに合った活動を進めています。
ADRAと中村さんとの直接的な関わりはなかったものの、アフガニスタンで活動を続ける中で中村さんの存在を忘れることはありません。
ADRAは今後も、現地の人に寄り添う姿勢を大切に、活動を続けてまいります。
アフガニスタンでの支援活動のため、ご寄付を募っています。
皆さまの温かいご支援を心よりお待ちしております。
<参考文献 『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」中村哲が本当に伝えたかったこと』(NHK出版)>