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7月8日、ウクライナ各地で空爆があり、少なくとも30人が死亡しました。首都キーウでは小児病院も被害を受け、別の産科病院でも4人の命が失われました。
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戦火が激しくなる前、ウクライナの人々はそれぞれの人生を歩んでいました。個々に問題を抱えていても、幸せになるために努力していたのです。しかし、2022年2月24日を境にすべてが変わりました。
ADRAが用意したキーウの避難所から逃れ、現在、ウクライナ西部の都市であるリヴィウで暮らしているヴラドフロム・キエフさんは次のように話してくれました。
「私にはもう家がありません。かつてはキーウの中心部で生活していたのですが…。とはいえ、ここの宿泊施設、食事は素晴らしいですよ」
彼は言葉を続けました。
「ADRAとカナダ政府に心から感謝しています。ウクライナ国民にとって非常に重要な支援をしてくれました」
一人ひとりが直面する問題が完全に解決するまでに至らないことは承知していますが、ADRAは被災者の避難場所を見付けることや、何らかのサポートができると感じています。引き続き、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。