マリウポリから命からがら避難したマリアさんにお話を伺いました

避難したマリアさん

2月にウクライナとロシアの間で戦闘が始まって以来、ウクライナ各地で大きな被害が出ています。

国連難民高等弁務官(UNHCR)の調べによると10月現在、770万人以上のウクラナの方が国外に避難し、1,340万人以上の方が国内で避難生活を余儀なくされていると言われています。
(出典: reports.unocha.org、data.unhcr.org)

アドラは戦争開始直後からウクライナ国内外おいて戦争の被害に遭われている方々の支援活動を行っております。

活動を通して、多くのウクライナの方からお話を伺う機会がありますが、何方もとても辛い体験をされながらも皆さん力強く生きていらっしゃる姿に我々ADRAスタッフも勇気をもらっています。

今日は、非常に戦闘の激しかったウクライナ東部のドネツク州にあるマリウポリから、ドイツに避難されたマリア・リヴォネンコさんの体験談をご紹介します。

夫と2人の子どもと一緒に、マリオポリ東部の町で暮らしていたマリアさんは、2月24日の朝、激しい爆発音で目を覚ました。

「私と夫は驚き、急いでベッドから起き上がり家のテレビをつけたところ、各局で戦争が始まったと報じていました。」

数日後、マリアさん家族は家にあった食料などをかばんに詰め、安全だろうと思われた地下のシェルターに避難しました。

マリアさん家族が自分たちの家を見たのはこれが最後となりました。

避難してから間もなく、彼らの家は砲撃により破壊されてしまったのです。

「最初に避難したときは、自分たちの街が完全に破壊されるなど誰一人も思っていませんでした。

地下に数日だけ避難するつもりだったのが、それから激しい砲撃が長期にわたり続き、一歩も出られない状況が何日も続きました。」

彼女たちは3月7日まで、近所の人たちと一緒に地下で過ごしました。

食料は尽き、最後はコップ一杯の水で飢えをしのんだと言います。

マリアさんご夫婦は、とにかく子どもたちを最優先で守りたいと思いながらも、地上では道が遮断され、至る所を戦車が走り、地雷が置かれ、何処へ、どのようにして逃げ出せばいいのかわかりませんでした。

そんな時、近所の住民の方一人が地下シェルターに駆け込んできてどうにか街から抜け出せる道があると教えてくれました。

マリアさんたちは急いで子どもたちを車に乗せ、彼の後について行きました。

草原や交通不可能に見える道をどうにか走り抜け、途中何度も地雷を踏みそうになりながら、激しい戦火をくぐり抜け、彼女たちはなんとか隣の州にあるベルジャンシクという街に辿りつくことができました。

生きて避難できたのは奇跡だと彼女は言います。

マリアさん家族はその後も避難を続け、最終的にドイツまで逃げることができました。

ドイツには既にウクライナから避難してきた人々が多く施設はどこもいっぱいで、安定した住居はもちろん一時的なシェルターを見つけるのも困難とのことです。

彼女たちは無事避難できたものの、引き続き厳しい避難生活を余儀なくされています。

もう戻る家はなく、これまで大切にしてきた物もすべて失われてしまいました。

ADRAはマリアさん一家が、生活に必要な洋服や食料などを買うための資金を支援しました。

マリアさん一家のように辛い体験をされ、苦しい避難生活を余儀なくされている方は今もなお国内外に大勢います。

ADRAはこれからも、マリアさんのような方一人ひとりに寄り添い支援を続けていきます。

私たちの活動を支えてくださっている皆さまの温かいご支援に心より感謝いたします。

(文責:広報・マーケティング担当 永井温子)

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避難したマリアさん

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