

2016年3月下旬、駐在先のイラクに、母から、1通のメッセージと写真が届いた。
「遅かったけど、完走したよ!!桜が満開で気持ちよく走れた😊」
画面には、満開の桜をバックに、はにかむ母が写っていた。
私の母は、歩くのが下手だった。そう言うと、誰からも「歩くの下手ってどういうこと!?」と、言われるが、実際そうなのだ。O脚を一生懸命前に伸ばすのだが、内股気味でどうもリーチが短い。小柄で足も短い私の一歩の方が断然大きく、2人で歩くと母はいつも小走りで後を追ってきた。
そんな彼女だから運動が得意なわけではなかったが、健康のためにランニングを始めた。一緒に走ったこともあるが、颯爽とは程遠い「ぽてぽて」とした走り。それでもコツコツと練習を重ねて52歳で10kmマラソンに挑戦し、見事完走したのが冒頭で紹介したエピソードだ。初めて2桁の距離に挑戦したこの時の達成感はひとしおだっただろう。それから2か月半が経った頃、母は突然の病に倒れ、この世を去った。
その後私は帰国、結婚し、出産した。「和花」と名付けた娘は、その名にふさわしく桜が咲き乱れる4月上旬に生まれた。妊娠がわかった時、エコー写真に載っていた予定日は、4月6日。それは、亡き母の誕生日だった。人生最後の一大イベントに満開の桜並木の下を走った母、街でも山でも薄桃色が人の心を奪う時節、母と数日違いで生まれてきた娘、由来は全く別のところにあるものの、桜を彷彿とさせる名前。ちょっとしたことが運命的な繋がりを持っているのか、はたまた大切な人にまつわる偶然を必然と信じたいだけなのか。いずれにせよ、春と桜は私にとって単に好きなものではなく、糧となっている。

我が家にある俳句カードの中で、娘が一番気に入っている詠を紹介しよう。
ちるさくら 海あおければ 海へちる。
桜の花びらが海へ散っていく様子を描写した、高杉窓秋の一句だ。作者の目には、花弁が青さに惹かれて自らの意志で海におちていくように見えている。4月から小学生になる娘は、これから社会という大海原に出ていく。高杉の目に映った桜同様、自らの意志で進む方向を選び、人生を切り拓いていくのだ。意味はわからずともこの句が気に入ったのは、舞い踊る花びらとその意志が、自らの自由と可能性に溢れた人生への期待感と共鳴したからかもしれない。
一方で、世界には意志はあっても強風に抗えず、風の吹くまま四方八方に飛ばされている花びらが多い。アフガニスタンでは、タリバン暫定政権が実権を握ってから以前よりも治安が良くなった。テロを起こしていた本人たちが主権を握ったからだ。しかし、その結果中学生以上の女子は教育を受けることを禁じられているし、女性たちは自由に働くこともできない。ミャンマーではその類の制限はないものの、国軍による民間人を巻き込んだ空爆などで家や学校が破壊され、複数年に渡る避難生活を余儀なくされている。彼らには、高杉が詠んだ桜のような、人生を選択する自由は乏しい。
それでも、桜が散った後には地面に桃色の絨毯ができることがある。吹き飛ばされても、叩きつけられても、尚美しいのが桜だ。そんな強さが生み出す美しさに、海の向こうで逞しく生きる、人々の姿が重なった。
(執筆:アフガニスタン・ミャンマー担当 守屋円花)