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午前5時過ぎくらいだっただろうか。別室で寝ている家族を起こさないように、私は静かに身支度を始めた。泊めてもらった部屋の小窓から朝陽が差し込み、鳥のさえずりが耳に優しく届く。洗面台がないので、庭先で歯磨きを済ませ、バケツに汲んでもらった水で顔も洗う。
出発の準備ができたところで、奥さんが手作りのパンを出してくれた。家の鍋で昨晩焼いてくれたらしい。クリーム色のペイントで塗られたコンクリート造りのトタン屋根の家の軒先に、真っ白なシーツが敷かれている。そこに、パン、小さなブリキのポットに入れられたお湯とインスタントコーヒーの粉、コーヒークリームパウダーが目の前に置かれた。顔を出しかけた太陽が辺り一面をオレンジ色に染め、果てしなく広がる青空の下で、私は澄み切った空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
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2024年2月、私はアフリカ南部に位置するジンバブエの北北西の外れ、ニャミニャミ地区の村にいた。出張で訪れたこの地で、他スタッフたちが宿泊するフィールド事務所を離れ、一晩だけ村在住の現地スタッフ、マンゴショの自宅に泊めさせてもらったのだ。彼の家があるシアコーボは、マツサドナ国立公園の目と鼻の先にあり、外からの客が泊まれるような宿は1軒もなかった。
その日は朝から夕方まで村での研修があった。事務所へ戻った後にも作業が続き、スタッフたちとフィールドワークを振り返った私は、疲労困憊していた。「村の暮らしを体験したい!」とマンゴショ宅への宿泊を事前にお願いしたことを、私は頭痛を覚えながら半ば後悔していた。それでも依頼したからには行くしかない。事務所にあるバスルームで、パイプから流れ出てくる一筋の太陽光で温まったぬるま湯を浴び、簡易シャワーを済ませた。辺りが暗くなる前に荷物をまとめると、ドライバーが水を運搬するついでにと、私とマンゴショを車に乗せて、彼の家で下ろしてくれた。奥さんと息子、娘、彼の家族が世話をしているという14~15歳ほどの女の子が私を迎え入れる。
口数少ないマンゴショとは違い、好奇心が目の奥に光るおしゃべりな奥さんとはすぐに仲良くなった。夕食にジンバブエの主食「サザ」を食べたいという私に、彼女は作り方を丁寧に教えてくれた。メイズの粉を水で溶きながら火にかけていくのだが、かつて私が青年海外協力隊時代に住んでいたケニアで学んだサザ(ケニアでは「ウガリ」と呼ばれる)とは、水と混ぜる順番や粉の足し方が全く違った。最後に心配になるほど多量のメイズ粉を鍋に投入する。とろ火に掛けながらしっかりと混ぜて完成させたサザは、完璧なほどにモチモチだった。床に座って食べる私たちの横で、子どもたちは親のスマホでYouTubeを見ている。しばらくすると、疲れた子どもたちは寝入ってしまい、マンゴショが抱えて寝室に連れて行った。彼らの日常に溶け込む時間はなんとも心地よかった。
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アフリカの果てにある人口3万人ほどのこの村の夜は真っ暗だ。子どもたちが寝静まった後、家の灯りで照らされた闇を見つめながら軒先に腰かける私の横に奥さんも並んだ。この頃には頭痛も吹き飛んでいた。私の日本での暮らし、お父さん子だという彼女の父親についての会話の後で、家の話題となった。
「案内しようか?」
と彼女は言った。こんな闇夜の中では、スマホのライトを使っても大して見えないのだが、翌早朝には出なければいけない私は「ぜひお願い」と返した。マンゴショと結婚して借家に住んだ後、購入した当地で少しずつ家を建てて、完成したのはつい最近だった(2024年2月時点)。裏手にも回り、鶏たちが眠る自前の鶏小屋も見せてくれた。暗闇の中で案内をしてくれた彼女の表情は見えなかったが、「我が家」の周りを歩きながら語る彼女の声には誇らしさが溢れていた。
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私が寝た後に奥さんが焼いてくれたそのパンの味はとても素朴で、優しかった。軒先で熱いコーヒーとパンを掻き込む私の傍で、子どもたちが眠たい目をこすりながら起きてくる。あっと言う間に出発の時間が近づき、マンゴショの自慢の家の前に立ち、みんなで写真を撮った。子どもたちに別れを告げ、私はザックを背負い、マンゴショと奥さんと共に、他スタッフたちが待つ事務所に徒歩で向かった。事務所までの道のりの半分ほどまで来ると、奥さんが「私は家に戻らないと」と足を止めた。一晩泊めてもらった心からのお礼を伝え、またいつか会えるといいねと、ぎゅっとお別れのハグをした。
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今から約1年前のこの時の記憶を辿る度に、私の気持ちは温かくなる。帰る場所があるということは幸せだ。それは1日の終わりに戻る家かもしれないし、長期間離れて帰る地元かもしれない。私が朝からシアコーボを出たあの日も、マンゴショは家族が待つ小さなクリーム色の家に帰って、家族団欒の時間を過ごしたのだろう。彼の家族はそんな当たり前な幸せを私に思い出させてくれた。
(執筆:高橋 睦美)