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「今、この瞬間に大切なこと」について、文章を書くことになった。
真っ先に浮かぶのは、子ども達。今朝から熱を出して保育園を休み、1日中読書と睡眠を繰り返す娘。そして、今頃保育園でおやつを食べている息子。世の中の殆どの親同様、私の生活の中心は我が子にある。休みの日、ゆっくり寝たくても起こされるし、本を読もうにも30秒ごとに「ママぁ~!!!」と呼ばれる。夜中のおねしょ処理に睡眠を妨害され、せっかく作ったご飯も残す。仕事中も、発熱すればお迎えに行き、週末の予定もパーとなる。保育園にいけば「●●ちゃんのママ!」と言われ、挙句の果てに、自分で自分を「ママ」と呼び始める。友人と集まっても話題は子どものことばかり。出産した女性のアイデンティティが「母親」になっていくことは、必然だ。
しかし忘れてはいけないのは、「母親=自分」ではないということだ。私は母親であると同時に妻であり、娘であり、妹であり、孫であり、友人であり、人道支援従事者でもある。それらは自分の立場に過ぎず、私そのものではない。時折、本質を忘れて母親に終始してしまうと、大変なことになる。「私」の自由が奪われるため、息苦しくなってしまうのだ。そのことに気づいてからは、「母親」という役割を楽しむために、子どもと同じくらい「私」を大切にすることを心がけるようになった。
退職して年金生活が始まった途端、無力感に襲われる男性や、専業主婦として子どもと家にいるうちに、自分の存在価値を見出せなくなる女性の話は珍しくない。社会の中で与えられた役割を務める毎日を送るうちに、多くの人がそれ自体を自分自身と誤認してしまう。しかし、社会的役割=自分ではない。全ての肩書、役職、役割を無くし、最後に残るものが自分だ。そのことに気づいている人は、私の周りでも少数である。
今週は、アフガニスタン事業の申請書を書きあげ、滞っていたミャンマー事業の会計処理も進められた。ADRA職員として遠く離れた人々に思いを寄せ、一心不乱に働いた1週間が今日、この金曜日で終わろうとしている。全ての立場を取り除き、「自分」だけになった時、今この瞬間に、あなたが大切にしたいことは何だろう? 私は実に生物らしく、食欲だ。夕飯まであと2時間。冷蔵庫のバナナに思いを馳せつつ、パソコンを閉じた。
執筆:アフガニスタン・ミャンマー担当 守屋 円花