小学生の頃から、仲間外れにされている子や悲しそうな様子、苦しそうな表情を見るのが嫌でした。本人は悪くないのに、なぜ辛い想いをしないといけないのだろうと疑問でいっぱいだったのを思い出します。それぞれグループで固まって話に盛り上がっている、にぎやかな教室の中で、必死に無表情を保とうとしながら1人自分の席に静かに座る子に、あえて話かけに行っていました。
振り返ればこの頃から世の中への疑問、理不尽さを感じ、微力でも困っている方の力になりたい、改善したい、という気持ちがあったのかもしれません。
大学卒業後、アフリカでの青年海外協力隊、中学校教員を経て2011年の東日本大震災発生後からADRA Japanに勤務。東日本大震災被災者支援活動では、長期で宮城県に駐在しました。ある仮設住宅の代表を務める方とは毎日のようにお話しました。
「○○さんはここの仮設に知り合いがいないと思うから、お茶っこ(東北の方言でお茶会の意味)して話せる機会がもっとあるといいと思うんだけんども」
「そうですね。そういう機会を増やせるように考えていきましょう」
他にもいろいろなことを相談しながら決めていきました。
住民のため、町の復旧復興のために尽力していたその方は、数年後、ご病気で他界されました。静かに眠りにつかれる数か月前、電話をいただき、「三原さんだから言っておくけど、実はガンなのね」という言葉は今も私の耳に残っています。短い言葉で伝えられたその声は、隣に立つ人にだけ聞こえるほどの大きさで、いつもの優しい声色でした。ですが、その中に悲しさがあったように思います。言葉では言い表せないほどショックでした。
以後、現在まで度重なる日本での災害に対応しています。その度に声をあげられない人々がいます。お一人おひとりの声を聴きたい。そして、彼らの声を必要な支援につなげます。