眼前の林を成しているのは、樹高20mを超える杉の高木だ。濃く深い緑色の葉を携え天に向かって伸びる姿は、都内の高層ビルさながらに、イワシ雲が浮かぶ空を遮っている。その杉林から続く砂利の川岸に、私は立っていた。
右を流れる川幅は約1m、水深は所により数センチから50cmほどだろうか。水底に沈んだ石の形がはっきり見てとれるほど透き通った水は、ジャブジャブと心地よい音を立てて流れていた。後方からは、たき火が弾ける音がする。山の早朝、背後の暖気は間違いなく有難かったが、同時にむき出しの頬に触れる冷気を際立てた。
日本三大人工美林の一つと称される天竜杉の林だが、そこに育つのは杉ばかりではない。背の高い木々の隙間から差し込む僅かな光を頼りに、合間を縫うようにして成長した樹木が点在している。30mほど先に立つ落葉樹は、11月下旬の今頃になってやっと紅葉を始めたようだ。「何の木かな。後で夫に聞いてみよう」そう考えながら、私は更に林の奥へと視線を送った。もこもこした青い毛布のようなパジャマを身にまとった二人の幼児が、手をつないで歩いている。私の子ども達だ。
我が家では季節を問わず、月に1回、多い時には3回ほど山でキャンプをする。今朝も、白い息を吐きながらテントから這い出してきた子ども達。湯気のあがるコーンポタージュとホットドッグを食べ終わった後、たき火にあたりながらコーヒーで一服する両親を待ちきれず、「探検に行ってくるね!!」と、手を取り合って林の中へ入っていく。
我が家のキャンプ地一帯に人はいないものの、幼児二人から目は離せない。しかし、「子どもだけ」という最上級のワクワク感を損なわぬよう、私は離れたところから見守る。何かを拾っているのだろうか、しゃがみこんだり木の枝を振り回してみたり、楽しそうな声が遠巻きに聞こえてくる。私は、胸元がじんわり温かくなるのを感じながら、至福に浸っていた。
「わぁ~~~~ん!!!!」
そこへ突然、息子の泣き声が響き、私は即座に駆け出した。40m先にいた二人のもとへたどり着くと、ニコニコと笑う娘の横に、急斜面で両手をあげて腹ばいになった息子が真っ赤な顔をして泣いていた。斜面を登ろうと試みたが、土が崩れてずり落ちたようだ。普段からちょっとした恐怖に取り乱しがちな息子は泣き叫んだが、事の重大性が低いことを理解している姉は、ハプニングを楽しんでいる。私はほっと胸をなでおろし、息子を抱き上げて娘と共に急斜面を上った。
息子を地面に下ろし、手や上着についた土を落とした私は、二人でテントまで帰ってこられるか尋ねた。「うん!大丈夫だよ!!」涙目の弟を横に、姉は元気よく返事をし、弾むように歩き出した。
数分後、二人は探検に出た時と同じように、ご機嫌でテントまで帰ってきた。「ママ、見て!キレイな貝殻拾ったよ!!!」
「山に貝殻…?」不思議に思って見てみると、そこには大きなサザエの殻が。BBQをした人達が置いていったのだろう。外側はグレーでゴツゴツしておりいかにもサザエらしかったが、内側はクリームがかったオーロラ色に輝いている。サザエの内側はこんなにキレイだったのかと感心しつつ、赤の他人がつついた残骸に、私は一瞬ひるんだ。が、子ども達にとっては大冒険の末見つけたお宝である。戦利品を持って帰ると言って聞かない娘に苦笑しながら、我が家の思い出にちょっと滑稽なエピソードが加わったなと、幸せを噛み締めた。
こうして、かけがえのない家族との大切な時間を、当たり前に味わうことができる喜びに浸るたびに、私は思う。毎日を生きるだけで精一杯な人々が、世界には何億人もいる。そしてその責任は、私たち先進国に住む人間が少なからず背負っているのだ、と。
私はADRAを通して人道支援に携わり、僅かでもその責任を果たすべく日々活動している。が、世界のニュースを目にしていると、無力感に襲われることも多い。どうすることが最善なのか、その正解は未だにわからない。しかし、どんな時でも願っている。今日という日が、世界中の人々にとって、昨日よりも良いものであるように、と。そして、ADRA、私、同じ志を持った多くの人、団体の活動が、世界を変えていく過程であるように。
(執筆:守屋円花)