私のクリスマスの思い出は、『やっぱりサンタはいなかった』である。1995年冬、クリスマスが近づく頃、サンタクロースが実在するか否かは、小学校低学年だった私の周りではよく話題になった。8歳の私は、「いるかもしれない!!」というワクワク感を持ちつつも、「プレゼントを置いているのはお父さんとお母さんのような気がする。」と、サンタへの疑念も抱いていた。
当時の私は毎夜、両親の口論を聞きながら眠りについていた。幼心に両親の離婚が近いことを悟っていた私は、サンタクロースが親だとしたら、今年のプレゼントはないだろうと思っていた。そして12月25日の朝、不安を抱えながら起床した私は、サンタがいないことを確信した。いつもと変わらないはずの枕元が、淋しさを帯びる。涙を堪えながら階段を下り、キッチンにいた母親と挨拶を交わす。今日がクリスマスだなんてことは、兄も祖父母も、誰も知らないふりをして、よそよそしく過ごした。
クリスマス最後の思い出がそれだったから、以降毎年、街がイルミネーションに彩られ、クリスマスソングが響き、子ども達の笑顔が輝く度に、私の心は踊るどころか、寂しさに包まれた。 そんな私のクリスマスを変えてくれたのが、高校卒業からのアメリカ生活だった。
日本では、クリスマスと言えば子どもと恋人のためだが、アメリカのクリスマスはそうではない。家族、友達、恋人、大切な人たちと過ごす時間である。7年近くアメリカで生活した私は、恋人やその家族、大切な友人たちとクリスマスを何度も過ごし、いつの間にか、クリスマスが大好きになっていた。
一方で、クリスマス文化が日本よりも大きい欧米諸国では、「クリスマス期間中は自殺者が増える」という俗説がある。他人の幸福が自分の不遇を助長し、絶望感を抱く人が増えるからだと言われているが、過去にオーストリアで行われた研究によるとそれは事実ではなく、むしろクリスマスシーズンは自殺者が減るという結果が出ている。(Nothing like Christmas–suicides during Christmas and other holidays in Austria – PubMed (nih.gov))
にも関わらず、この俗説が消えることは今後もないだろう。何故なら人間は、社会的動物であり、他人との比較によって自分を評価する生き物だからだ。
国連が掲げる持続可能な開発目標、いわゆるSDGsの1つ目の目標は「貧困をなくそう」だ。人道支援従事者としてこの目標に向かう私だが、これには若干の違和感を覚えている。言わんとしていることはわかる。貧困により、必要な水や食べ物が得られないことは大問題だ。
しかし私は問いたい。無くすべきは貧困ではなく、格差ではないか、と。貧困は人を不幸にする一因ではあるが、不幸そのものではない。より大きな問題は格差ではないだろうか。地球上の人間全員が1食しか食べられないという状況よりも、一着何億円もするドレスを着たハリウッドセレブと、1日1食食べるのがやっとな人々が、同じ地球に住んでいることが問題だと、私は考えている。
人が人らしく生きるためには「希望」が必要だ。そして、その対極である絶望は、貧困そのものではなく、格差によって起こる。「ちょっと不便なくらいだった時代が、人は幸せだった」とはよく言うが、「より良い」を知らない方が、人は幸せなのかもしれない。
アフガニスタンの地震被災地を訪れた現地支部局長ビノッドは記した。
「辺りを歩いている子ども達は栄養失調のように見えた。赤銅色に日焼けした顔からは、風雨にさらされて生活している様子が窺えたが、その反面、無邪気にほほ笑んでいた」
この文章を読んだ時、私の胸はぎゅっと締め付けられた。ビノッドが見た子ども達は、井戸はおろか、道路も学校も病院もない地域で生まれた。ご飯をたらふく食べられる当たり前も、蛇口をひねればキレイな水が出る快適さも、何も知らない。与えられたものが彼らにとっては世界の全てで、今はそれに満足して笑っている。そんな彼らが成長した時、果たして同じように笑っていられるだろうか。実は、サンタクロースがいないことに気づいた時、絶望するだろうか。
まだ、世界を知らない私の子どもたちは、今年もクリスマスを心待ちにしている。彼らが成長した時、この世界に抱くのは希望か絶望か。願わくば前者であるように、親として、人道支援従事者として、模索している。
(執筆:守屋 円花)
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