二度目の桜 ~能登半島にて~

この地に春が訪れようとしていた。

  数か月と続いた長い冬の季節を終え、白い絨毯の様に辺りを覆っていた雪景色を見る事も少なくなっていた。幸いな事に、今年は雪が少なかった。お陰で、地震により傷ついた家屋が雪の重みにより倒壊するといった二次災害を減らすことができた。

 茶褐色の世界に緑が混交する。赤銅色のつぼみから一分一厘の薄桜色が芽吹いている。そう、2024年4月の出来事である。

 玄関先のドアを開けると、心地よい風が入り込んでくる。朝は少しだけ冷たさの残る東風に混ざり、土と若葉の香りが控えめに漂っていた。もう日中はコートのいらない季節。夜に備えて、薄手のジャンパーと少し厚めのニットを羽織り、今日も数名のボランティアを車に乗せて能越道を走っていく。この頃には、連日の渋滞も大分落ち着いていた。少しデコボコとした道を走る事1時間強。1月からの記憶を辿り、この地を始めて訪れたボランティアに語り伝えるには、短い時間であった。

 「コポコポコポコポ……」

 コーヒーメーカーから、まるで豆の鼓動かの様に一定のリズムで音が鳴り始める。オーブンで炙ったキャラメルか、はたまた、ローストしたアーモンドか。とにかく、色で例えるならば辺りが明るい黄褐色に包まれた気がした。

 芳しい香りに釣られて徐々に人が集まってくる。コーヒーが好きなのは県民性なのだろうか。石川では飛ぶようにオーダーが続く。その中でもブラックが人気だ。少し前まで私が活動していた茨城県では緑茶が人気だった。減らない茶葉に少し寂しさを覚える。

 一通り飲み物が行き渡った頃、会場の外に咲く三分咲きの桜に気付く。花見にはうってつけな浅葱色の空。遥か遠くに漂う高層雲が目に付くが、まだ薄い。恐らくカフェの間は雨が降る事はないだろう。急遽、外に椅子を並べお花見の態勢を整える。屋内に響いていた笑い声は、時時刻刻と青空の下へと移り去っていく。

 一足遅れて屋内の会場へ住民が訪れる。メニューには一瞥せず、まるで他に選択肢を用意していなかったかの様にコーヒーを注文する。椅子に座り、お菓子を2・3個つまむ。10分も会場にいなかっただろう。湯気の漂うコーヒーを片手にそそくさと帰ろうとしていた。外で談笑するグループをどの様な感情が込められているか、推し量る事も難しい様な表情で見つめる。しかし、間髪を入れず桜に視線が移った。

 「桜、綺麗だねぇ。」

 少しくたびれた厚めのコートを着た女性はつぶやいた。その声は、只々疲れていた。もしかしたら、風呂にも満足に入る事が出来ていないのかもしれない。

 この地域では大部分で断水が解消したばかりである。数か月に及ぶインフラの停止は、住民の心を深く蝕むには十分な時間だ。そのうえ、上下水道の配水管が復旧しても、自宅まで水を引く給水管が破損している家も多かった。

 「ありがとね。またね。」

 恐らくまだ水が使えていない内の一人なのではないか。精神的に参っているのではないか。色々と思案している内に、彼女は一瞬だけ笑顔を見せ、そう言い残し去って行った。外の会場では、まだ談笑している声が響いていた。

 能登半島地震の発災から1年が経過した。あれから、二度目の桜を迎えようとしている。今も尚、元の生活とは程遠い環境で生活している方が大勢いる。業者の数や金銭的な問題など、様々な要因からすぐの復旧は現実的に難しい。しかし、現場では少しずつではあるが、着実に工事が進められている。工事や建築関係者の尽力には尊敬の意を抱く限りである。

 町中で、ダウンコートを見かける機会も少なくなってきた。冬の風から、時折緑の香りが漂う。植物が芽吹き、町に彩りが添えられた。昨年カフェを訪れた彼女は、あれから数か月後に自宅で水を使う事が出来るようになった。しかし、まだまだ困難な状況に置かれている方は多い。三度目の桜を一人でも多くの方が笑顔で迎えられる事を祈って、まだ白藍の空に想う。

 (執筆:三牧 晋之介)

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