能登半島地震から1年

能登半島地震から一年を迎えるにあたり、犠牲となられた方々に対し心より哀悼の意を表すと共に、被災されたすべての皆さまに、改めてお見舞いを申し上げます。


「あの日が近づくと落ち着かなくてね」

東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県山元町の住民の方から何度も聞いた言葉です。

「発災した3月11日が近づいてくるとそわそわする」「不安な気持ちになる」そう感じる方は、あれから13年経った今も少なくありません。

1月1日に発生した能登半島地震。

親類縁者が集まって、特別な時間を過ごしていた方もたくさんいらっしゃいました。底冷えするような寒さの中、外が暗くなってきて、暖かな部屋の中で夕飯の準備をしたり、お酒を楽しんでいた方もいらっしゃったでしょう。久々の再開で話に花を咲かせていたかもしれません。発災はそんな矢先の出来事でした。

ADRAの一員である私も実家に帰省中でした。携帯のアラーム音が鳴り、すぐにテレビをつけ報道を確認しました。

「うそでしょ」

口からそんな言葉が出ていました。

発災時間が近づく中、落ち着かず、不安な気持ちになる方がいらっしゃるかと思うと本当に心が痛みます。被災された方々はこれから元日という日をどのようなお気持ちで過ごされるのだろう、と考えると苦しいです。

「元日ですもん。大変でしたよ」

口を開いてくださったのは、七尾市在住の30代くらいのお父さんでした。続けてお話を聞くと、ご苦労が想像できました。

「穴水町の実家に車で到着した瞬間にすごく揺れて。穴水は停電断水だったけど、七尾市の自分とこは電気だけあったから、まだ良いと思って結局すぐに七尾市に戻ったんです。お風呂が大変。うちは子どもが4人いて小さく、近くのお風呂は入れてもらえないから、それから1週間に1回家族みんなで金沢まで行って風呂入って。ずっとお風呂は1週間に1回でしたもん。子どもが全員女だから、また。お風呂入れるのもうちの(奥様の意味)が大変でしょ」

「子どもたちも偉かったですね。お父さんお母さんもがんばりましたね」

そうお声をかけると、目じりが下がり、表情が緩んだ気がしました。

私たちができることは本当にわずかです。ですが、少しずつの力も集まれば大きな力となるでしょう。

能登半島に暮らす方、能登半島から別の地域に避難されている方、そのご家族ご友人たち全ての方が心穏やかに元日を迎えることができますように。

心から願っています。

(執筆:国内事業課 三原 千佳)

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
目次