幼い私にとって、両親が毎晩絵本を読んでくれるひと時は大切なコミュニケーションだった。サラリーマンの父と研究者の母を持つ私は、日中は保育園で、夜は近所にあった祖父母の家で過ごした。夕飯を終え、お風呂に入れてもらい、長い一人遊びの時間を経て、なんだか眠くなってきた頃にやっと父か母が迎えに来る。我が家に帰ってすることは布団に入ることだけだったので、両親と過ごせるのは眠りにつくまでのわずかなあいだだけだった。
パジャマに着替えたら、お気に入りの絵本を1、2冊持って布団に入り、読み聞かせをしてもらった。よほど仕事で疲れていたのか、両親の方が先に寝てしまうことも多かったけれど、それでも1日の中で親にくっついて過ごせる貴重な時間だった。
『ぐりとぐら』もそんな父と母のレパートリーのひとつだった。何度も何度も読んだので、父も母もぐりとぐらの声をきっちり読み分けたし、ぐりとぐらの歌にはちゃんと我が家独特の節回しがあった。海水浴で出会う海坊主も、クリスマスの日にやって来るサンタクロースも、まるで家族の一員みたいに、私と両親の会話に登場した。
そんな時間はおそらく我が家だけのものではなく、むしろ、日本の家庭の大半がこの物語を通して、たとえ小さくても、かけがえのない絆を紡いだのだろう。大人になってから、各家庭で歌われている「ぐりとぐらの歌」を集めたCDを聞く機会があった。同じ絵本の1ページに刻まれた、幾通りもの「ぐりとぐらの歌」が収められていた。同じ詞であるにも関わらず、そのメロディーの多様さに、この物語を通して紡がれたいくつもの絆を感じた。それは親子の絆に限らないのかもしれない。先生と生徒、図書館の司書さんと来館者、読み聞かせのおじさんと子供達。無数のかけがえ無い時間をこの作品が温かく照らしてきたのだろうと思う。
国際協力に関わっていると思うことがある。被支援国は日本とは全く文化の違う国。その国の人の前に立った時、私は心を通わせられるだろうか。言葉は通じるだろうか、今朝この人が食べた物の味を私は知っているだろうか、私が大切に思うものをこの人は同じように大切に思うだろうか。でも、人との関係を結ぶのは長大な時間じゃない。5分か、それにも満たない短い物語だ。道端にいる変な虫、何でもない段差で躓いてしまったこと、空調が壊れて熱いこと、一緒に食べたご飯の味。そんな小さな小さな日常のかけらが人と人を結び付ける。丁度、一冊の絵本が世界中の人たちの絆を育んで来たように。
だから、あなたもまずやってみてほしい。ちょっとだけ微笑みかけることから、国際協力は始まるんだ、ということを。
そして、もし勇気がなくなった時には思い出せば良い。卵を見つけたら大きなパンケーキを焼いて、ライオンも狼も笑顔にしてしまう、小さな野ネズミの二人組がいることを。
―中川李枝子さんの訃報に寄せて―
(執筆:海外事業部インターン 市川結理)