長崎原爆の日の誓い。あのとき芽吹いた緑のように。

1945年8月9日、日本に2つ目の原子爆弾が落とされ、午前11時2分に炸裂しました。

3日前に広島上空を覆ったキノコ雲が、今度は長崎も襲ったのです。

長崎市松山町171番地の上空、約500mで炸裂した“ピカ”は、一瞬にして、およそ24万人が暮らしていた当地を呑み込みました。

1945年末までに7万3884人の命が奪われ、負傷された方の数は7万4909人に上ります。

長崎市内にあった住居の36パーセントに当たる1万8409戸が被害に遭いました。

言うまでもありませんが、現在も原爆症で苦しむ方がいらっしゃいます。

今、爆心地周辺は平和への誓いと願いが込められた平和公園となり、<あの日の出来事を忘れてはならない>というメッセージを伝えています。

原爆落下中心地には黒御影石の碑が建てられ、原子爆弾によって破壊された家々の残片やレンガ、そして3,000℃と言われた高熱で焼け、溶けたガラスなどが大量に埋没している当時の地層が見学できるようになっています。

加えて、18.5ヘクタールの平和公園の北側には、高さ9.7メートルの平和祈念像がそびえます。

神の愛と仏の慈悲を象徴し、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じたまぶたは“原爆犠牲者の冥福を祈る”想いが込められており、長崎市民の平和への願いを象徴するオブジェとなっています。

ADRA Japanの何名かも、当地を訪ねました。その日を振り返って、スタッフは言います。

「平和祈念像を見た時の第一印象は、とにかく『大きい!』でした。原爆の悲惨さを感じると同時に『二度とこうした悲劇を繰り返してはいけない』という想いを強く持ちました。

像には、たくさん鳥が止まっていて、平和な時間を過ごせていることを実感しました。このような時間がいつまでも続くことを、心から願いました。平和公園の、緑が眩しかった記憶もあります」

原爆が投下された後、人だけでなく爆心地周辺のほとんどの樹木が消え失せました。

当時、70年は草木が生えないだろうとささやかれたものです。

しかし、1カ月後には30種類もの植物の芽が出て、今日に繋がっています。78年後の現在の姿は、被爆地で人間を勇気付けた、あの小さな芽からスタートしたのです。

日本は戦後、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と憲法に定めました。

とはいえ、世界を見渡すと戦争が続いています。

ADRAは、今なお戦火の下で苦しんでいる方のために心を痛めている方々の温かいご支援とともに、被爆地で確かな生命力を見せた、あの小さな芽のように粘り強く「ひとつの命から世界を変える」をモットーに今後も活動し続けてまいりいます。

来る8月24日、ADRAは平和への願いを込めて、ウクライナの方とZOOMでつなぎ、第3回ウクライナデー「星に願いをかけるなら」をオンライン開催いたします。

戦争がある現実に慣れたくない方、平和のために何かアクションを起こしたい方、平和について考えたい方など、皆さまのお越しをお待ちしております。奮ってご参加ください。

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