6月20日は「世界難民の日」です。
2022年末の時点で、故郷を追われた人の数は世界中で1億840万人。世界の8人に1人が、自分の家では安心して暮らすことができず避難をしている状況です。
1985年に発足したADRA Japanが、最初に取り組んだ活動は、エチオピア難民の方々への支援でした。以来、食料やテント、衣類、医療品の配付、教育プログラムの提供など、そのときの状況に応じて一人ひとりに寄り添う活動を続けてまいりました。
今回はADRAの活動地のうち、ウクライナとエチオピアにて、皆さまの支援が届いた方々の声をご紹介します。
ウクライナより
キーウ州イルピン出身のオレーさん
「2人の息子に恵まれて、家族のために家を建てようと忙しく働いてきました。数年かけて、自分の家を建てることができました。しかし、戦争が始まって数日後に、家がミサイルの標的になりました。家は爆発し全焼してしまいました。家も写真も、家族との思い出がいっぱいある大切なものがすべて焼けてしまったのです。
戦況が落ち着いたときに故郷に戻り、被害の大きさを目の当たりにしました。ですが、私たちはあきらめずにゼロからすべてを作り直すことにし、故郷に近いホレンカ村に住みはじめました。
ある日、妻がSNSで、ADRAが住宅復旧のための建設資材バウチャーを配付しているという投稿を目にしました。ADRAが用意していたフォームに必要事項を記入したところ、すぐに電話がかかってきて、家を直すのに必要な支援を受けることができました。ほかにもヒーターや食料、防寒着もADRAから受け取りました。
すべてを失っていた私たち家族にとって、この支援は非常に重要でありがたいものでした」
東部セベロドネツク出身のオレナさん
「私は保育士として働きながら、健康上の問題で歩けなくなった高齢の母親の面倒を見ていました。戦争が始まっても、すぐには避難することができませんでした。4月1日にようやく母と避難できましたが、持てたのは書類の入ったバッグ1つだけ。着替えも思い出の品も財産も、すべて故郷に置いてきました。私はどうしても介護が必要な母親とずっと一緒に過ごしており、避難先で仕事に行くこともできません。服も家財も食料も何もありませんでした。
そこで、私はADRAに助けを求めました。ADRAは必要なものをすべて用意してくれました。今では定期的に食料や薬を受け取っており、洋服が入った箱もいただきました。靴下から防寒着まで、必要なものが全部入っており、とても暖かくきれいでした。このような生活に必要なものを提供してくれたADRAに感謝しています」
エチオピアより
南スーダン出身のニャモンさん
「南スーダンで内戦が勃発してすぐに子ども4人を連れて、命からがらエチオピアに逃げてきました。クレ難民には2014年から住んでいます。
難民キャンプでは、草むらでなくトイレを使用することの大切さや、水を入れる前に水容器を洗浄することで病気を防げることを学びました。また、トイレの清掃や、難民キャンプ内の環境をよくするための清掃キャンペーンなどの衛生活動を通して、私たち難民の中の、自分たちが暮らす環境に対する意識が上がっていったのが分かりました。
難民キャンプでの生活に大きな変化を生んでくれたADRAに感謝します」
ご紹介した声はほんの一部です。
故郷を追われた方々の悲しみや苦しみは、そして戻りたくても戻れないもどかしさなど、想像を絶するほど大きいものです。ですが、皆さまの温かいご支援が届く瞬間は人々の心にも光が差します。心より感謝申し上げます。
今後も私たちは、皆さまのお支えのもと、現地で必要がある限り、一人ひとりに寄り添う活動を続けてまいります。引き続き温かいご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。
(執筆:広報・マーケティング担当 石橋 和博)