教育支援のスポンサーシップ「ナマステ基金」卒業生 アンジャン・デュンガナ(Anjan Dhungana)さんをインタビューしました

 20 年以上続いている教育支援事業・スポンサーシップ「ナマステ基金」の卒業生である アンジャン・デュンガナ さんに、ネパール駐在員の ADRA Japanスタッフと ADRA Nepal(ネパール支部)の「ナマステ基金」担当者がインタビューを行いました。彼が、どのような背景で「ナマステ基金」の支援を受けることになったのか、支援を受けてどのように夢を実現していったのか、そして今後の夢などについて語ってくれました。

自己紹介と支援のきっかけ

アンジャン・デュンガナ さん

 私は1999年11月10日生まれで、現在24歳です。JanakpurにあるJanaki Medical College & Teaching Hospital の4年生の最終試験を終えたところです。

 「ナマステ基金」の支援を受け始めたのは、Shree Janata Secondary School の9年生の時(2013 年)でした。私が4年生までは、父は安定した収入がある仕事に就いていましたが、父の退職後、崖を転がり落ちていくように家計が苦しくなり、父が母と得る農業でのわずかな収入で家族 5 人が生活していました。9年生の学年最終試験では、一生懸命勉強した結果、1位を獲得することができ、「ナマステ基金」の奨学生に選ばれました。手に入れることが難しかった学用品を支援物資として手にしたときには、もっと頑張ってたくさん勉強しようと思いました。こうして 12 年生(日本の高校3年生にあたる)まで「ナマステ基金」の支援を受け、学業を終えることができました。

12 年生卒業後…

 卒業後は、家族や親せきからエンジニアになるよう勧められましたが、気持ちは全く進みませんでした。実は医療に携わりたい気持ちが強かったのです。しかし高額な学費をどのように工面したらいいのかわからず、1年間ただ悩んで何もできませんでした。その後いろいろ調べた結果、大学の学費において国の奨学金制度があることを知りました。

 奨学金制度を受けるために、1日8時間から9時間猛勉強して、ネパール全国大学入学試験では、81 位という成績を修めましたが、上には上がいました。それでも理由はわかりませんが、成績上位者が数名、大学入学を辞退したため、繰り上げで医科大学に合格できました。私が目指す外科学士号は、5 年半の課程のあと、卒業時の医師資格試験があり、それに合格すると免許取得ができ、医師として働くことできます。私は、あと1年半の課程が残っています。

 国の奨学金において入学試験代や多くの授業料が免除されました。それでも、母はローンを借り、兄が給料の中から私の学費を支援してくれています。両親は現在も毎月ローンの返済を行っています。

これからの希望

 卒業後、外科医になったあとは、今まで支援してくれた両親にまず感謝し、新しい家を建てたいと考えています。また経済的に余裕がでたあと、海外、特にアメリカやヨーロッパで修士号を取得したいと考えています。最終的には、自分が生まれたこのネパールで骨をうずめる気持ちです。そして自分の病院を建て、社会に貢献したいです。

今、頑張っている子ども達へ・・・

 今、一生懸命勉強に励んでいる皆さん、何事もあきらめず頑張ることで輝かしい未来が開けてきます。自分が言ったことは必ず実行するということを意味する「有言実行」をしてほしいと思います。

アンジャン・デュンガナさんより「ナマステ基金」支援者の皆さまへ

 スポンサーシップ「ナマステ基金」を通じて支援をしてくださった皆さま、この奨学金は私に大きな幸運をもたらしてくれました。ご支援、本当にありがとうございました。これからもどうかこの「ナマステ基金」の支援を継続していただき、生徒に勉強を続ける機会を与えてくださればうれしいです。

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