東日本大震災から9年

花釜区に寄贈したトレーラーハウス

ADRA Japanは、東日本大震災の支援活動で福島県と宮城県のお手伝いを実施しました。

中でも宮城県山元町は震災直後から長期にわたりスタッフが駐在し、炊き出しに始まり応急仮設住宅のスターターパック配付やコミュニティ支援等様々なお手伝いをしました。

私もしばらく山元町で駐在を経験しましたので、私にとって山元町は第二の故郷です。

3月9日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で取り上げられたのが宮城県山元町でした。

この番組は鶴瓶さんとゲストがステキな家族を求めて日本中を巡る旅番組です。

皆さんはご覧になったことがあるでしょうか。

その番組を見ていると知っているお顔がチラホラ。

思わずテレビに向かって「あ!○○さん元気~?」とぶんぶん手を振っている自分がいて、

長女に「お母さん、何やってんの?」と言われる始末です。

そんな長女も実は山元町を「おばあちゃんがいっぱいいる町(以前プライベートで子供たちを連れて行った際におばあちゃんたちとたくさん会ったため記憶に残っているようです)」

と言って、「また行きたい」と親しみを持っています。

と、そんな話はさておき・・
昨年末にも山元町を訪問してきましたのでその時の様子をご報告いたします。

まず、津波で大きな被害を受けた花釜区に寄贈したトレーラーハウスです。

主に消防団の詰所として使われています。

外壁の一部に経年劣化が確認できた際には消防団の皆さんで直すなど、地元の皆さんでしっかりと管理していただいていました。

花釜区に寄贈したトレーラーハウス
管理者の方にお話しを伺う

次に地元のお母さん方中心で構成されている団体「山元タイム」に寄贈したトレーラーハウスです。

週に3回程のペースで手芸活動などに活発に使われています。

製作の様子
山元タイムの皆さんと

地元の皆さんでしっかり活動されている様子を拝見し、大変嬉しく思いました。

町内の鉄道や道路、沿岸部の整備等は、かなり進みました。。

町の景色は震災前とはかなり違います。

その町で、住民の皆さんはそれぞれの想いを抱えながら前向きに生きていらっしゃいます。

私が駐在中、頻繁に相談し合い一緒に住民の方々の見守りなどをしていた元仮設住宅行政連絡員の方が、昨年亡くなりました。

ご自身も大変な被災をされていたにも関わらず、震災直後から仮設住宅入居中、そして仮設住宅を出たその後の住民の皆さんを気にかけ、毎日一生懸命動いていた方でした。

震災で生きのび、あんなに住民の方々を想って日々尽力されていたのに、なぜ、今。

私の勝手な想いですが、残念でなりません。

このような方々もいらっしゃり、今の山元町があります。

他の市町も同様ではないでしょうか。

私たちにできることは何かを、今一度自分に問いかけてみてはいかがでしょうか。

(執筆:国内事業課 三原千佳

花釜区に寄贈したトレーラーハウス

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