「地震があったことは、彼らにとって幸いだったのかもしれない。」
そう述べたのは、ADRA Afghanistan(アフガニスタン支部)の事務局長、ビノッドだ。2023年10月に、ヘラート県で連続発生したM6.3 の大地震。1,500以上の命を奪い、30,000棟以上が全壊した。発生から1年近く経っても尚、被災地にはテント生活を続ける人が多くいる。そのような大規模災害が、何故幸いなのか。ビノッドの言葉から考えた。
2024年8月25日、ビノッドは常駐するカブールから飛行機で西に1時間、被災地であり事業地でもあるヘラート県に降り立った。目的は、ADRAがシェルター建設を進めている村の視察。同乗したスタッフと共に飛行機から車に乗り換え、ハイウェイを走る。ひとたび市街を離れれば、車窓から見えるのは雲一つない青い空と、黄土色の大地のみだ。乾いた景色の中を車が進んでいく。村に近づいたところでハイウェイを降り、そこから7km程、道なき道を進んでいくと、視界の奥に、荒れたレンガ積みの家屋や風にはためくテントが見えてきた。今回の目的地、シュラバキバロチャ村だ。
村の入り口で、弱弱しく痩せた老人数名と、細身の青年がビノッドを迎え入れた。現地で「風の120日」と言われる5月から9月は、時速30キロから40キロ、時には100キロを超える強風が吹きすさぶ。車から降りた途端、乱暴な風に煽られ、巻き上がった砂埃に視界を奪われた。シュラバキバロチャ村を含む地域一帯の村には、水道はおろか井戸すらなく、電気もなければ学校も病院もない。当然仕事もないことから、村の男性の多くは月に3万円程を稼ぐため、隣国イランに出稼ぎに行く。貧しい存在と見下されているアフガニスタン人への待遇は良いものではないが、そうするより他にない。
水源から離れたこの村では、作物を育てることができない。唯一の産業は、ヤギや羊などの家畜を育てることだが、餌となるのは夜露で育つ僅かな草のみ。羊飼いたちは、家畜を食べ続けさせるために草地を求めて旅を続ける必要があり、一度村を離れると数週間は帰ることができない。そうして大切に育てた家畜を売りに出すのは、年に一度の犠牲祭の時だけだ。1年で最も高額で取引される時期に換金し、手にしたお金で次の犠牲祭までの1年間、同じように家畜を育てながら生活する。男子は年頃になると出稼ぎに行くため、必然的に、家畜の世話は村に残った子どもが担う。薪拾いや水汲みなど、学校のないこの地域では、子どももフルタイムワーカーだ。
「どれくらいの期間、こうした環境で生活しているのですか?」
ビノッドが70歳の老人に尋ねると、「生まれたその日からずっとです」と返ってきた。過去にアフガニスタンで起こった事象についても、知らないことが多い。国内で起きた戦争も、政権交代も、社会的な変化も、彼の生活には何の影響も与えてこなかったからだ。毎日荒野の中で、死なないように生き続ける。それが、彼が送った70年間だ。彼の親も同じように過ごしてきて、今日、陽に焼けた頬で笑い走り回っている子どもたちも、そうやって生きていくのだろう。
驚くことに、シュラバキバロチャ村は、水や電気が通い学校や病院などの施設もある最寄りの街からは、車で30分ほどの距離だ。しかし、人々の生活様式と経済状況を見れば、まるで世界の反対にきたようだった。ADRAはこの村で、地震で崩れ落ちた家屋を再建しており、村の人々は支援を心から喜んでくれている。順調に進む工事現場の傍らでは、水源から村への給水パイプやソーラーライトの必要性も語られた。陽が昇ったら起床し、食べるために羊の世話をする。水を汲みに行って、可能ならば食事を摂り、陽が沈んだら眠る。何十年以上も同じように続いている生活だったが、それが快適ということではない。村の誰もがより良い生活を望んでいたが、実現する術がないだけだった。
「地震をきっかけにこの村にADRAの支援が入り、生活が向上する機会となった。地震がなければ支援は入らず、村の生活が変わることもない。だから地震は、彼らにとって幸運だったのかもしれない。」
ビノッドは、そう感じたのだった。
災害が幸運とならざるを得ない人生とは、いかなるものだろうか。地震が起こらなければ、人々は声をあげる機会すらなかったということだ。そう思った時、物もお金も余るほどあるはずの世界で、彼らの命が小さいどころか、存在無きものとされているような気がした。マザーテレサが残した言葉が浮かぶ。「愛の反対は憎しみではなく、無関心だ。」世界が抱える矛盾と理不尽さにやりきれない思いでいっぱいになった私は、しばらく涙を止めることができなかった。
今日も世界では、戦争、貧困、自然災害と、対処しきれない多くの問題が起こり続けている。併せて3億人以上が支援を必要としている今、アフガニスタンのように貧困が常態化した国には、更なる悲劇が起きない限り、国際社会が大きな関心を寄せることはない。何かが起こっても注目度は低く、充分な支援も集まらない。そして考えるほどに悔しいが、私にはその現状をすぐに変える力がない。それでも私は、支援を続ける。
3億という数字を成しているのは、全て、命だから。
地震がなければ、拾うことができなかったシュラバキバロチャ村の声。彼らと同じように、声なき声を持った人たちが、3億にまで達した2024年。この数字の向こうにある1つ1つの命に寄り添い続けることが、私の仕事であり、人生だ。
外を眺めれば、雲が高く季節の移り変わりを感じる空が見える。この空は、アフガニスタンへも続いている。万里一空の精神で奮い立った、秋の午後だった。
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