能登半島地震発生から6か月が経ちました。被災された方々には改めてお見舞い申し上げます。また、現地で復旧復興に取り組んでいる方々へ深い敬意を表します。ニュースの報道が少なくなった今でも、現地では未だに断水が続く所があり、復旧の道半ばにあります。個別の困り事も多く聞かれます。
ADRAは発災直後から支援にあたる中、現地への支援を通じて見えた現実と希望を伝えたいと願い、2024年6月27日(木)にオンライン報告会を開催しました。
今回の報告会では、七尾市矢田郷地区の避難所を運営する町づくり協議会の関軒(かんのき)さんと、穴水町の災害ボランティアセンターを運営する社会福祉協議会の橋本さんをお招きし、ADRAの駐在スタッフ2名を交え、地域の「受援力※」と「調整力」をテーマにディスカッションを行いました。
※ 受援力とは、困ったときに助けを求め、支援を受ける力のことです。
進行を務めるADRAスタッフの「発災直後の避難所の様子を伺えますか」という質問に対して、関軒さんは次のように話してくださいました。
「1月2日に600〜700人が避難してきた際、提供できる食事は200食しかなく、1人に提供できる水もカップ一杯しかありませんでした。ですが、1月8日になると朝食は8時、夕食が16時の2食体制で始まり、10日目からは日に3食提供できるようになりました。以降、支援物資が届き始めてからは、24時間体制で対応しています。
また、避難所の一部を土足禁止にし避難者と一緒に下駄箱を作成しました。支援活動は、人と物資を無駄にしないという共通意識を持ちながらチームワークで、経験や知識を補いながら対応を心がけています」。
「一般的に災害被災地では、初めて会う外部支援者を受け入れるとき、戸惑を感じることがあると思いますが、穴水社会福祉協議会は、今回どのように外部団体を受け入れ連携を取ることができたのでしょうか」という質問に、橋本さんは次のように話してくれました。
「私たちは正規職員6人の小さな団体として、今回の地震による被災度が大きく、支援を申し出くださった方々に頼るしかありませんでした。2007年にも地震で被災し、そのときに支援物資を届けてくれたレスキューストックヤードさんとのつながりが17年間続いていました。当時は支援も少なく技術系ボランティアは他の組織が調整しており、住民が生活する上での課題に対して「できない」と伝えるのが悔しかったことを覚えています。心が閉じてしまいそうな時もありましたが、子ども会や音楽会などを通じて心を開く努力を続けてきました。支援の窓口としての役目を果たし、高齢者と子どもたちの元気で喜ぶ姿を見て、支援の意義を強く感じました」。
お二方の現場の声に加え、駐在しているADRAスタッフ2名の想いを交えたパネルディスカッションは、頂いたご質問を含め、時間が足りるか心配になるくらい熱く、心温まる時間となりました。忙しい時間の中、当日は60名以上の方に参加いただき、みなさんからは、次のようなコメントを頂きました。
「地域の受援力としても個々の受援力としても大事だと思った」
「改めて各地の支援に出かけてつながりをつくることの重要性を痛感しました」
「能登の支援を忘れないために、大切なイベントだと思います。ありがとうございました」
1日でも早く能登半島に日常が戻ることを祈りつつ、ADRAは今後も住民の方々に寄り添いながら、支援を続けていきます。
皆さまからの温かいご支援ありがとうございます。
(執筆:イベント担当)