ADRAは、2年以上戦争が続いているウクライナの再建、そして人道支援を続けています。砲火の影響を受けたなかでも、とりわけ弱い立場にあるとされる方々に食料を届け、仮の住まいを用意し、かつ心理的サポートや、医療支援を行っています。
2022年2月24日に本格的な空襲が始まってから数時間で、私たちは120か国にある支部と連携し、緊急対応チームを発足しました。砲撃を避けるために自宅を離れ、近隣諸国への避難を余儀なくされた子どもたちや女性、老人などへの支援を始めました。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、ウクライナでは約400万人が国内避難民となり、ヨーロッパやその他の国々に亡命を求めざるを得なくなった方の数が640万人以上。2024年4月現在、1,400万人以上の方が人道的援助を必要としています。
活動中、思いがけない体験をしたメンバーがいるので、ここでご紹介します。2022年にプラハで催されたサミットに参加し、祖国であるオーストラリアに向かう機内で、ADRAスタッフの、ジーン・サイランは一人の客室乗務員の涙を目にしました。サイランが頭上の棚に自分のバッグを納めていた時です。彼のすぐ後ろにいた客室乗務員が、突然、嗚咽をもらしました。
サイランは振り返ります。
「僕はADRAのTシャツを着ていたのですが、彼女がロゴを見て、泣きながら後ずさりしたのです。乗客が客室乗務員に対して失礼な態度をとったり、侮辱したりすることもありますよね。他の客室乗務員たちは僕が何かひどいことをしたのではないかと感じ、彼女に駆け寄りました。
しかし、彼女は僕に何度も言ったのです。『家族のために、あなたたちがしてくれたこと、本当にありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう!』って」
サイランがこの女性の胸バッジを見ると、客室乗務員の名はオクサナで、名前の横に出身国を示すウクライナの国旗のピンをつけていました。
「落ち着きを取り戻すまでの間、オクサナさんは座って自身の話をしました。ウクライナで戦争が始まった折、彼女の家族は、やがて最前線となる地域に住んでいました。彼女には6人のきょうだいがいて、父と兄、弟は兵士となりました。オクサナさんは数か月間、彼らと連絡が取れていませんでした。彼女は父や兄弟が生きているかどうかの情報さえつかめていなかったのです」
その頃、オクサナさんの家族―――叔母、子どもたち、祖母、祖父、母は、砲弾が飛び交う前線のアパートで暮らしていました。
「彼女は僕にこう話したんです。『ADRAのバスが私たちを迎えに来てくれました。だから、このロゴを覚えています。そして、私たちがバスに乗って故郷を離れた直後、我が家は爆破されました。ADRAは私たち家族を避難させてくれただけでなく、ポーランドへの移住も手伝ってくれました』と。
とても胸が熱くなったのですが、彼女の感謝に対して僕は『自分がやったことじゃないですよ』と伝えました。ただ、ADRAのロゴに改めて誇りを感じました」
今後もADRAは、「ひとつの命から世界を変える」をモットーに活動を続けていきます。引き続き、皆さまの温かいご支援を、よろしくお願いいたします。