ADRA Japanの一員として、7か月半に及ぶスロバキアでの業務を終え、先日帰国したスタッフが、今回の活動を振り返りました。
「2023年4月11日着の便で、スロバキアに赴任しました。私が当地を訪れるのは、2018年の春以来のことです。コロナ渦でStay Homeを余儀なくされましたよね。海外に行き来できるようになって、初めて日本国外に出ました。
ウクライナから逃れてスロバキアに来ている人々と直接交流し、支援を届けたかったので、今回の駐在は、とても貴重な経験と出会いがありました。
危機発生当初、戦火を回避するために隣国に移動した人たちの多くは、一時的に難民キャンプで生活しました。そして避難生活が長期化するとともに、徐々に、定住先を見付けることが、ウクライナの人々に必要となっていました。
ADRAは、そうした状況に置かれた方が住居を見付けられるよう情報を提供し、行政の支援に繋いだりしていました。
私は、難民として首都ブラチスラバ市内に住んでいる人と直接話をすることで、少しでも彼らの状況を理解し、寄り添うことができるようにしたかったのですが 、彼らの話すウクライナ語などの言葉が私は使えないので、毎回通訳をして下さる方を探しました。
ブラチスラバのヘルプセンターはショッピングセンター内に位置し、パスタ、缶詰などの食べ物や、食器洗いの洗剤、ボディソープ、子ども用オムツ、チリ紙、シャンプー、生理用品、衣類の配布の他にも、障がい害者や高齢者を対象とした現金の給付も行っていました。
また、ブラチスラバ市内の別のヘルプセンターにある、心理社会的ケアサポートの活動場所となっている施設では、ウクライナ難民の方々がコミュニケーションを取れる空間があります。
ウクライナの方同士はもちろん、スロバキア人でも、私のような日本人、スロバキア在住のアメリカ人などでも、活動時間中、誰もが好きな時に訪れ、文化交流としてのコミュニケーション、クラフト作りやゲーム、スロバキア語や英語の語学教室にも参加できます。
仮にウクライナの方が精神面でのカウンセリングに抵抗があっても、彼らの状況をよく知るスタッフたちが中心となって施設を運営しているため、助けが必要な方が声を挙げやすい環境です。
10代の中学生であるウクライナの男の子が、スロバキアの学校に入ったものの、上手く馴染めずに『一年経ってもなかなかスロバキアに友人ができない』とこぼしていました。
女の子は比較的溶け込むのが早いように感じますが、この年頃の男の子は難しいのですね。
この心理社会的ケアサポートの活動場所となっている施設で<英語を使おう><英語でゲームをしましょう>という試みを続けていた時、彼は毎週のように施設の活動にやってきては、参加してくれました。
そして、『通っている中学では友人ができないけれど、ここでは映画に行くスロバキアの仲間ができた』と語るようになり、私も嬉しくなりました。
また、私の記憶に残っているのが、夫に先立たれた30~40代のウクライナ人女性です。キーウ出身で、お子さんが一人います。彼女ともこの心理社会的ケアサポートの活動場所となっている施設の活動で出会いました。
戦争が始まって直ちに、彼女のご主人は志願兵となり、戦地に赴いたそうです。祖国のことを思うと、兵士として戦ってほしいけれど、妻の立場で考えるなら、行かないでほしかったと話していました。
『突然に家長となって、子どもを守らなければならなくなりました。自分の力で逃げる道を探し、ここにたどり着いたのです』という言葉が忘れられません。母親としての強さを見た気がしました。
それから私は、現地でスロバキア語を学びながら、可能な限り使ってみようと考えていました。
ある時、年配の方に自分の名前を告げ、『体調はどうですか?』と訊ねてみたら、『あなたはスロバキアに何をしにきたの?』と質問され、『ウクライナの病院に発電器などを支援を届けるために来ました』と答えたら、『遠い日本から、私たちをサポートしてくれてありがとう』って言ってくれました。今でも、その言葉はとても印象に残っています。
会話する相手がいるのといないのでは、大きく違います。ウクライナの人々にとって、元の生活の方が良かったことは間違いありません。しかしながら、もう戻ることはできません。コミュニティとの繋がりがあるからこそ、避難先で、何とか生活を立て直すことができます。
でも、スロバキアにはこの心理社会的ケアサポートの活動場所となっている施設のような場所にアクセスできない人の方が多くおり、自身の居場所を見つけられない人が大多数です。
一人でも多くの人が避難先のスロバキアで平穏な暮らしを送ってもらいたいですね。日本に戻って来て、そう痛感しています。
私たちは、今もスロバキアのブラチスラバ、ケジュマロク、トレンチン市にて心理社会的ケアサポートの役割を果たしている活動場所(ヘルプセンター)で活動していますので、引き続きウクライナ難民の方々に寄り添ったサポートができればと思います。」
引き続き、皆さまの温かいご支援をよろしくお願いいたします。
(執筆:ウクライナ支援活動担当)