2011年3月11日14:46に発生した東日本大震災から間もなく10年です。
ADRA Japanでは、住民の方々が“今どのようなことを思われているのか”をご紹介することで、皆さんと一緒に改めて震災について考え、知り、これから一人ひとりに何ができるのかを考えるきっかけとしたいと考えました。
私たちが当時現地で一緒に活動し、今でもお付き合いをさせていただいている方々からいただいた言葉を、3回に分けてご紹介します。
昨日の福島県に続いて、今回は宮城県の方々からの言葉をご紹介します。
【当時、生活支援相談員をされていた宮城県山元町民の方】
いつおさまるかわからない大きな揺れ。繰り返し起こる余震。
本当に怖くて怖くてたまらない体験でした。
その後に起こった大津波。海沿いの風景は一変しました。
あまりの変わりように、何が起こったか理解出来ない日が続きました。
縁あって復興支援の仕事をする事になり、ADRAの存在を知りました。
震災当初から山元町を全面的に支えて下さり、自分達の事のように山元町を想って下さる皆さんの姿に、感謝の気持ちでいっぱいでした。(今でも感謝感謝ですよ)
辛い震災でしたが、ADRAの方々や、被災地を応援して下さる皆さんとの出会いは、私のかけがえの無い財産になりました。
私は今、小学校で仕事をしています。
低学年で防災の勉強をしましたが、震災後に生まれた子供達には、震災はまったく他所ごとです。
10年経って、私達被災地に住む者の記憶も薄らいでいるのですから、当然の事かもしれません。
が、私はそれではいけないと強く感じました。
この震災で体験した事は、語り繋がなければいけません。
もう一度家族で、友達で、みんなで震災の時の話しをして、どうすれば命を守る事が出来るか、改めて考える節目の日にしたいと思っています。
【当時、仮設住宅の副行政連絡員をされていた宮城県山元町民の方】
2021年2月13日(土)23時07分、地鳴もなく突然地獄に引きずり込まれるような大地震が!
福島県沖震源、私が住んでいる宮城県山元町では、震度6弱でした。
緊急避難速報アラームがなる前の出来事でした。
10年前の東日本大震災で大津波に遭った私たちは、とっさに、大津波がくると思いました。
家族4人は身支度をして、日頃から用意していた非常持ち出しリュックを手元に避難の体制に。
ラジオが、潮位は少し高くなるが津波の心配なしとの情報に、本当にほっとしました。
家具は倒れませんでしたが、棚の上の物はほとんど倒れ落ちました。
家具は転倒防止装置をしていたので大丈夫でした。
3.11被災後しばらくは大地震はないだろうと、気の緩みがでていたのかもしれません。
今度の地震で、私たちの町では犠牲者は出ませんでしたが、住宅の被害、断水など多くの被害が出ました。
私も住まいに被害があります。
余震が度々あり、コロナ禍と重なって、精神的にも不安定なところです。
3.11被災後は、避難所生活2か月半、仮設住宅生活2年半を経験しました。
震災前に住んでいた自宅は幸い流失しなかったので、大修理をして住んでいますが、地震がくる度に津波は大丈夫かといつも恐怖心が消えません。
自宅にもどったことを後悔しています。
これまで、行政の方々や多くのボランティアの皆さんに支えられて生活を取り戻し、前を向いて進むことができました。
人と人とのつながり「絆」がいかに大切かを身に染みて感じたひとりです。
スーパーなどで仮設住宅で共に暮らした人に会うと、懐かしくなり今でも声をかけあっています。
大切な命を守るために、これまでの経験を忘れず、日々の暮らしに活かしていきたいと思っています。
明日は再び福島県からの言葉をお届けいたします。
(執筆:国内事業課 三原千佳)