ADRA Japanの一週間は、全体ミーティングとお祈りで始まります。クリスチャンのスタッフはもちろん、そうでない者も一緒になって、牧師である支部長の言葉に耳を傾けます。紛争や災害、貧困下にある人達に思いを馳せ、駐在で外国や被災地に入るメンバーの無事を祈り、自分たちの仕事に前向きな気持ちで取り組めるように、宗教の垣根を越えて心を一つにする時間です。
キリスト教徒でない自分がADRAで仕事に当たる時、思い浮かぶのが讃美歌「小さなかごに」です。広く一般に普及している曲ではありませんが、「寂しい暮らしをしている人に小さな花かごを渡したら、良い香りが満ちて、気持ちが晴れる」「人の行いはささやかでも、神様の力によって、周りを明るい気持ちにすることができる」と謳った可愛らしくて爽やかな歌です。10年以上前に友人に誘われた音楽会で聞いてから、ずっと心に残っています。
ノンクリスチャンの私には、「神様」という存在を教会の皆さんと同じように理解することが難しい部分があります。けれど、わずかな行動が何倍にもなって相手に伝わることがあるというのは、一種の真理だと感じます。自分が街中で受ける親切、あるいは、自分が気遣った相手の嬉しそうな表情から、常々そう実感しているからです。
支援業務の中では、裨益者の方々の苦しみを描かなければいけない場面に何度も出くわします。苦境を乗り切るために活動し、皆さんに寄付をお願いするのですから、当事者の大変さを伝えなければならないのは当然と言えばその通りです。けれども、NGO職員は同情していてはいけません。
裨益者の方々を「悲しいストーリー」の登場人物ではなく、昔からの知り合いのように思い、少しでも本来のその人らしくあれるように、手を動かして支援を組み立てるプロフェッショナリティーが求められます。私たちが届けるものは食料、家、教育、医療と具体的な物やサービスの形ですが、それらは全て、形式的な施しではなく、支援とともに手渡すことのできる温かい気持ちと一緒にあるはずのものです。
「小さなかごに」を口ずさんでいると、そうやって誰かに何かを差し出すことは、多分にキリスト教精神に通じるものがあるかもしれないと思わされます。
(執筆:市川 結理)