青く澄み渡った空にところどころ低く浮かぶわた雲。私は自転車をこぎながら、手をのばせばつかめそうな気さえして、空に見とれていたが、ふと地面に注意を払わないといけないことを思い出す。黄土色の硬く固まった土の道路は穴ぼこだらけで、うっかりするとひっくり返ってしまうこともある。
ここはジンバブエの地方都市グウェル。今となってはかなり昔のことになるが、私はこの町で青年海外協力隊として活動をしていた。
町の中心地から自転車で20分ほどの田舎道。お店が立ち並んでいるところでも端から端まで自転車で5分程度のこじんまりした場所だった。店がある所から5分もこげば、目立つ建物もない。道路が一本通り、見渡す限りは土と草と木。たまに道路脇でマンゴーやグワバを売っている女性やヤギの放牧をしている子どもに会う。
私はそこで、HIV/AIDSの啓発活動をする団体に所属していた。会員の女性たちは全員がシングルマザー。未亡人もいれば、未婚で出産された方など様々な事情を抱えながら子供たちを育てていた。セックスワーカーをしていた(している)方が多く、正確な数字は分からなかったが、メンバーの7割はHIVに感染しているだろうと言われていた。
「マカディイ!(ショナ語でこんにちは)」
「ンディリポ エドゥ マカディイヲ!(元気よ、あなたは?)」
その日は女性たちに手工芸を教える日で、人口密集地にあるメンバー宅へ向かっていた。お決まりの挨拶をし、どのパターンを使って刺繍をしていくかを集まった8人ほどで話し合う。そのうちの1人が、「この前モザンビークの国境で売れたわ。こういうデザインが人気。こっちのはだめ」と言うと、みんなああだこうだ言い出して盛り上がる。
そうなってくると言葉の壁がある私には理解できなかったが、たまに会話を中断させて、整理する。指導時間が終わると決まってティータイム。みんな砂糖たっぷりのミルクティーが大好きなのだが、あいにくこの時は砂糖もミルクも手に入らず、まずいと言いながらブラックティーを飲んだ。女性たちは貧しく、明日の食べ物に困る日もあった。でも彼女たちは明るかった。大きな口を開けて笑い、いつも前を向いて過ごしていた。
その日から数日後、「ちか、明日お葬式だけど来る?」とメンバーの一人が淡々と言った。顔見知りの1人が亡くなったのだ。数日前まで笑っていた仲間が今日はいない。まさに青天の霹靂だったが、それから幾度となく経験していくことになる。しみじみと飛花落葉を覚えた。
彼女たちの笑顔は今も私の胸にある。ADRAスタッフとしても度々思い出させてくれる彼女たちに心から敬意を表し、感謝したい。