阪神・淡路大震災から30年

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。今日はあの日から30年です。

あの時、たくさんの方々が「自分にできることを」との思いから、ボランティアとして現場に駆けつけました。その数は1年間で137万人とも言われています。そのため、1995年は「ボランティア元年」とも呼ばれています。

あれから30年。毎年起きる災害に対して、私たちは過去の経験から得られた知恵や反省を活かせているでしょうか。過ちを繰り返してはいないでしょうか。

阪神・淡路大震災の死亡者の多くは家屋の倒壊や家具などの転倒による圧迫死でした。現在は、家屋の耐震も進み、家具の転倒防止についても周知がされ、市区町村によって転倒防止器具購入に対して助成が受けられる所もあるなど、まだ十分とは言えずとも対策が進んでいるように思います。

東日本大震災でも多くのボランティアが全国から駆け付けました。この震災をきっかけにできた任意団体も多数あり、それまで海外だけで活動していた国際NGOの一部は、この時初めて国内の災害で被災した住民の方々への対応に動きました。それぞれの団体が精一杯支援活動を行うも、支援の重複や漏れがあり、調整の必要性が確認され、その後、災害時の連携・コーディネーションを行う、全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)が設立されました。

ボランティアについてはどうでしょうか。能登半島地震では、特に初動期に現地で活動できたボランティアは約3,000人(参考:朝日新聞デジタル)。2月は約20,000人と増えてはいますが、過去の災害と比較するとあまりにも少ないことが分かります。ADRA Japanの足湯や移動カフェ、穴水町社会福祉協議会との連携によって技術的な専門知識をもつ活動のために受け入れたボランティアの方々は延べ1,100人です。もちろん、一つとして同じ災害はなく、数字だけでは比較できません。むしろその中身をみていく必要があるでしょう。ですが、今回の災害でも課題がでてしまったように思います。

これまでADRAのボランティアに参加してくださった方の声を紹介します。

「ボランティアで行ったつもりが、逆に多くの方に『ありがとう、頑張ってね』と励ましの言葉をもらいました」

「地元の皆さんが気さくに声をかけてくださり緊張もどこかに吹っ飛んでしまいました。『ボランティアじゃなくてもいいから気軽に遊びにきてよ』と言われて嬉しく思い涙が出そうになりました」

阪神・淡路大震災から30年。この期間を振り返り、今一度ボランティアの意義を考えたいものです。

Photo1 阪神・淡路大震災の時に炊き出しをするADRAボランティア
Photo2 阪神・淡路大震災の時に給水の手伝いをするADRAボランティア
Photo3 能登半島地震の時のボランティア第1陣
Photo4 能登半島地震で作業してくれたボランティアの皆さん

(執筆:国内事業課)

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