見えないものに宿る幸せ:サンタクロースと私のクリスマス

1897年9月、ニューヨークの新聞、『サン』紙で記者を務めていたフランシス・チャーチ氏は、8歳の女の子から、「サンタクロースは本当にいるんですか?」と問われ、次のように応じた。

「誰もサンタを見たことがないからって、実在しないという証明じゃない。人間は、自分の理解できることが全てだと思ってるんだろう。でもね、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかる わけじゃない。」

同じことを、どこかの誰かが言っていたのを思い出す。そうだ、『星の王子さま』だ。彼も言っていた、「本当に大切なものは目には見えないんだよ」と。私にはこの言葉を、噛みしめたクリスマスの出来事がある。

私は小学生まで、サンタクロースを心から信じる子どもだった。イブにプレゼントを届けに来るサンタクロースのために、ツリーの傍に手紙を置いたり、お礼のお菓子を用意したこともよく覚えている。一度も会ったことがないのに、フィンランドからトナカイが引く、そりに乗ってやってくる白ひげのおじさんを毎年待ちわびていた。2人の弟たちに「サンタクロースなんて、いないんだよ」と言われても、私は頑なに信じる姉だった。実際、そんな自分は誰よりも純粋に、見えない世界の幸せを味わっていたのではないかと思う。

中学1年生になって、両親からサンタクロースがいないことを打ち明けられた。涙がポロっとこぼれた。真実を見てしまった為に、私のクリスマスがそこで途絶えた。サンタクロースからプレゼントをもらえなくなることが悲しかったのではない。自分が信じていたものが真実ではなかったという喪失感が強かった。見なくても良いことが、この世界にはあるのだと初めて知った。

しかし、それと同時に別の感情も芽生えた。プレゼントをもらい始めた7歳から12歳の5年間、両親が私の信じるサンタクロースを、一生懸命に演じていてくれたことに気づいたのだ。母親が欲しいプレゼントを聞く計画を立て、父親は仕事の合間にそれを買いに行く。当日は、子どもが寝るのを待って2人で枕元に置いてくれた。見えないところで、私の幸せを守ってくれていたのだ。

人は、目に見えるものだけを信じてしまいがちだ。子どものころは想像力の塊で、世界をわがままに作れていた。しかし、大人になるとそのままではいられない。毎日、目の前にあるものだけを捉えて判断し、処理していくことで精一杯になる。時には見えないことを、まるで見えるように作り出す側にもなっていく。

目に見えるものは、真実かもしれない。しかし、目に見えないものにも、大切な真実があるのだ。それを気づかせてくれたのが、新聞記者と星の王子さまの言葉と、両親の振舞いだった。

(執筆:事業部 渡辺 陽菜)

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